~白の一族~ ハヤヤッコのレパードS制覇まで
2019年レパードステークスを制したのは後方から豪快に伸びてきた10番人気のハヤヤッコでした。
この勝利がJRA重賞初の白毛馬の優勝となります。
ハヤヤッコは父がキングカメハメハ、母はマシュマロという血統。
祖母にシラユキヒメ、叔母に関東オークスなどを制したユキチャンを持ちます。
このシラユキヒメの血を持つ馬が徐々にその血を広げつつあります。
近年では某競馬漫画で使われていた「白の一族」というフレーズが使われることもあります。
ここではそんな白毛馬達について触れてみましょう。
白毛とは
そもそも馬の「白毛」とは何ぞや、というところから。
良く勘違いされることもあるのですが、いわゆる「アルビノ」ではありません。
また、芦毛とは違い、生まれた時点で白いのが特徴となります。
芦毛は元々は白くないのですが、年齢と共に毛根でメラニンが作られなくなって白くなっていくものですが、いわゆる白毛は生まれつきメラニン細胞が殆どないことで白く生まれてきます。
白毛には2パターンあり、いわゆる「白毛遺伝子」によるものと「サビノ遺伝子」によるものがあるのですが、ここではシラユキヒメ一族に該当する「白毛遺伝子」について触れていきます。
ごく稀に突然変異によって起こるのですが、その確率は限りなく0に近いもので、殆どと言っていいくらい出現しないものとなっています。
日本では40年前に生を受けたハクタイユーが最初に認定された白毛馬となっており、同馬は両親ともに白毛ではない突然変異によって白毛馬として生を受けています。
白毛遺伝子は産駒に遺伝するものでもあり、白毛馬の親からは50%の確率で産駒へと白毛が遺伝します。
シラユキヒメ
父は青鹿毛のサンデーサイレンス、母は鹿毛のウェイブウインド(その父トップサイダー)という血統で、突然変異の白毛馬として1996年に誕生。
通常、突然変異で生まれる白毛馬は1~2万頭に1頭程度しか生まれず、その突然変異のパターンにとっては生後すぐ死んでしまうものもあり、非常に希少な存在として注目を集めていました。
同馬は父にサンデーサイレンスを持つ良血馬でもあったことからディープインパクトでも知られる金子真人氏が購入し、中央競馬に登録されましたが、デビューが大きく遅れてしまい、初出走は既に3歳未勝利戦がなくなってしまった4歳2月、小倉競馬場の500万下条件となりました。
その後は9戦して500万下条件での3着が1度と言う成績に終わっています。
勝利を挙げることは出来ませんでしたが、500万下で0.2秒差の3着に入っていたあたり、仮に未勝利戦のレベルならば十分に勝っていただろうと思わせる能力は見せていました。
競走成績はその程度でしたが、白毛という希少性とサンデーサイレンス産駒と言う良血もあって生まれ故郷でもあるノーザンファームで繁殖入り。
後に数々の白毛馬を後世に伝えていくことになります。
繁殖入りして最初に種付けされたのは金子真人氏の所有馬だったブラックホーク。
初めて生まれてきた産駒はシロクンと名付けられる白毛馬でした。
白毛馬JRA初勝利、そして
シラユキヒメの初産駒シロクンは2006年にデビューしたものの、5戦して全て着外に敗れ、勝利を手にすることは出来ませんでした。
その翌年にはシラユキヒメの2番仔ホワイトベッセルがデビュー。
クロフネを父に持つこの馬も白毛を受けついで生まれてきたのですが、デビュー戦でいきなり3着と好走。
芝からダートへと舞台を変えた2戦目に川田騎手を背に好位から抜け出して見事優勝。
これがJRA史上初の白毛馬の勝利となりました。
ホワイトベッセルは後に1000万下条件を制するなど3勝を挙げる活躍を見せました。
この時点で「日本史上最強の白毛馬」だったのですが、種牡馬入りはせず、引退後は去勢されて乗馬に転身し、京都競馬場で誘導馬となります。
シラユキヒメの3番仔もまた白毛で生を受けます。
ホワイトベッセルと同じクロフネを父に持つその牝馬はユキチャンと名付けられます。
ユキチャン
全兄ホワイトベッセルの活躍もあり、注目を集めていたユキチャンでしたが、芝のデビュー戦では大敗。
続く2戦目となる未勝利戦では兄と同じくダート戦が選ばれました。
このレースを中団からしぶとい末脚を繰り出して勝利。
続く芝の500万特別ミモザ賞では昇級初戦、大幅な距離延長、芝替わりを物ともせずに勝利、芝でも白毛馬の初勝利を飾ります。
続いて向かったのはオークストライアルのフローラステークス。
マスコミなどからも注目を集めていましたが、ここでは0.6秒差の7着。
次にユキチャンが向かったのは川崎競馬場で行われる交流重賞のJPN2、関東オークスでした。
武豊騎手を背にハナを切ったユキチャンでしたが、直線では後続を離す一方のワンサイドレースになり、2着のプロヴィナージュに8馬身もの大差をつけ、レコードタイムをマークしての大楽勝。
これが日本史上初の白毛馬の重賞勝利となりました。
この衝撃的な走りにはマスコミも騒然とし、その勝利は一般ニュースにまで取り上げられたのでした。
母シラユキヒメの誕生から12年。
白毛馬の初勝利となったホワイトベッセルの勝利から僅か1年後のことでした。
その後は牝馬限定交流重賞などで好走を続けるも勝ち切ることが出来ないでいたユキチャンは活躍の場を求めるべく、川崎競馬へと移籍。
その移籍が実り、後にJPN3クイーン賞、JPN3TKC女王杯を連勝し、NARグランプリにて最優秀牝馬に選出されるに至っています。
広がる血筋
晴れて重賞勝ち馬の母となり、繁殖牝馬としては成功したシラユキヒメ。
このシラユキヒメ、非常に仔出しが良い牝馬でもあり、2016年までに全てオーナーの金子氏の所有していた馬を父に持つ12頭もの産駒を生み出しています。
その内の10頭が白毛を受け継いで生まれ、シラユキヒメの産駒達は次々にデビューの時を迎え、いくつもの勝利を手にしています。
白毛を受け継いだ10頭の内、牝馬に生まれた4頭が既に繁殖入りしています。
既にユキチャンを始めとしたシラユキヒメの娘達には産駒が誕生し、競馬場にその産駒達が次々に姿を見せるようになってきています。
その数も年々増えつつあり、「白の一族」が形成されつつあります。
シラユキヒメ自身は既に23歳となっていますが(存命)、その血は着実に広がりを見せています。
世界初の偉業へ
そんなシラユキヒメの6番目の産駒マシュマロ。
彼女もまた白毛を母より受け継いで生まれてきた1頭。
2勝を挙げ、姉が制した関東オークスでも4着に入るなどの活躍を見せ、4歳シーズンを最後に引退、繁殖入りしていました。
そんなマシュマロ、繁殖入り初年度にキングカメハメハを種付け。
翌年2月に生まれてきたのは白毛を受け継いだ牡馬でした。
その牡馬に付けられた名はハヤヤッコ。
芝のレースで初勝利を挙げるも、ダートに適性を持つと判断されて路線変更。
ダートでは4戦して3連対と可能性を感じさせながら格上挑戦で挑んだレパードステークス。
競り合う先行集団を見て、早めに後方からの競馬を選んだ田辺騎手とハヤヤッコ。
4コーナーでは外に回すや、バテた先行勢を他所に際立つ末脚を発揮、ゴール前でまとめて全部交わし去り、見事に勝利。
これが世界初となる白毛馬の平地国際グレード競走での勝利となりました。
そして未来へ
全てはシラユキヒメの誕生に始まりました。
それまでの白毛馬は日本で最初の白毛競走馬のハクタイユーの血を引く馬が殆どでしたが、ハクタイユーは競走馬としては能力的に厳しく、未勝利戦でも全く勝ち負けにならない程度の能力の馬でした。
故に引退後に種牡馬になるも、その産駒の能力は推して知るべし…で、最も活躍したのは90年代末から大井競馬場で2勝を挙げたハクホウクンでした。
そのハクホウクンも種牡馬入りするのですが、大井競馬で2勝程度の能力では流石に種牡馬として活躍馬を出すには厳しすぎました。
産駒のハクバノイデンシがアドマイヤジャパンを付けられ、ミスハクホウが辛うじてその血を繋ぎましたが、引退後は繁殖入りできずにハクタイユーの白毛の血は途絶えることになります。
競走馬としてハクタイユーやハクホウクンを大きく上回る能力と血統を示していたホワイトベッセルは種牡馬入りすることはなかったため、現時点で白毛の血を引く種牡馬はいないのですが、今回ハヤヤッコが重賞を制したことで種牡馬入りの可能性は大きく増しています。
血統的にも競走能力に於いてもこれまでの白毛種牡馬の水準を大幅に超えていますから種牡馬としても走る産駒を送り出してくる可能性は当然違ってくるでしょう。
また、シラユキヒメの10頭目の産駒シロニイは現在まだ現役ですが、既に4勝を挙げており、1600万下でも通用する力を見せており、兄ホワイトベッセルを上回るほどの能力を見せており、この馬も種牡馬となる可能性を残しています。
更にシラユキヒメの娘であるユキチャン、マシュマロ、ブチコ、マーブルケーキは競走馬としてもJRAで複数の勝利を挙げているだけに今後の産駒成績も十分に期待の出来るものです。
恐らくこのシラユキヒメ一族は今後更にその血を広げていく公算が強いものとなっています。
令和の時代、この一族の繁栄が実に楽しみな状況となってきました。