うまコラ

競馬歴28年の筆者が綴る競馬コラム

騎手のエージェント制

こんにちは、ゆ~じ~です。

 

 

今回はエージェント制について少し触れてみようかと思います。

 

まずは、

 

『エージェント』

 

って何か?というところから。

 

騎手という職業はレースで騎乗するだけが仕事ではありません。

騎乗するためには乗るための馬がいなくては始まりません。

 

ですから、騎手は自分の騎乗機会を得るために調教師などに「営業」を行い、騎乗馬を確保しなくてはなりません。

調教師や馬主側からオファーを貰うケースももちろんあるのですが、それは一部の人気騎手が殆どで、多くの騎手は自ら騎乗機会を得るために活動しなくてはなかなかレースには乗れないのが実状です。

 

昔の競馬界では騎手は基本的に厩舎に所属しており、調教師も自厩舎、もしくは関りが深い厩舎の所属騎手を騎乗させるケースが多いものでした。

騎手と調教師との間にはいわば師弟関係が強く、調教師は単に自厩舎の馬を勝たせるだけでなく、所属騎手を育成することもまた重要なことだったのです。

騎手側は自厩舎の馬に優先的に騎乗させてもらえるメリットと共に他厩舎の馬に乗る機会はなかなか得られないデメリットがあったわけです。

また、馬主もそういうものだという認識があり、騎乗する騎手は調教師に一任している馬主が多かったですし、調教師の立場自体も今より強かったのだと思います。

 

ただ、時代と共に状況が変わってきます。

実力がある騎手達は厩舎の所属を離れ、「フリー」となることで、自厩舎に囚われることなく多くの騎乗機会を得るチャンスを取る騎手が次々に現れるようになります。

また、調教師や馬主にしてみてもそうした実力の高い騎手達に騎乗依頼を掛けやすくなることになります。

 

そうした中で騎乗依頼は実力の高いフリー騎手に集まることが多くなっていきました。

その反面で、それほど能力の高くない騎手や若手騎手達には騎乗馬が回りにくくなっていきました。

 

そうした状況の中で超一流の騎手に至っては、騎乗依頼や営業活動の機会が多くならざるを得ず、事務的な作業や管理の業務が大きな負担となっていきました。

 

その負担を軽減し、レースでの騎乗に集中したいということで岡部幸雄騎手がいわゆる騎乗仲介者を導入する先駆けになったと言われています。

 

ただ、トレーニングセンターには一般人は入ることが出来ず、その業務を行える人自体がいないため、岡部騎手はマスコミ、つまり競馬新聞のトラックマンであれば調教師、騎手の双方と関係も築かれており、その業務には適任であったことから仲介を依頼して騎乗馬の管理を委託することになったようです。

 

人気騎手達はそれに追随する形で次々に同様の騎乗仲介業務を委託するようになっていきました。

その仲介者こそが「エージェント」ということです。

 

JRAもやむなく容認せざるを得ない状況となり、2006年4月より公に制度としてエージェントが認められることとなり、今ではどの騎手がどのエージェントと契約しているのかが公開されています。

 

それを見れば一目瞭然ではありますが、今では現役騎手の過半数がエージェントと契約しています。

 

しかし、この制度にも課題はあります。

 

一部の人気騎手に依頼が集中してしまい、それ以外の騎手には騎乗機会は少なくなりましたし、その質も低下してしまいました。

特に若手騎手は顕著にその影響を受けています。

 

外国人騎手が圧倒的な活躍を見せているのは、何より彼らの卓越した技術に依るところが大きいのですが、それと共に彼等に一流馬があまりに集中してしまっていることも一因としてあるのは事実です。

外国人騎手だけでなく、一部のベテラン、中堅クラスの騎手が大半の騎乗を占めてしまいますから若手には騎乗機会は回らなくなっています。

 

騎乗機会が少なくなると共に彼等の騎乗技術向上の機会も少なくなっていきます。

かつてのような騎手と調教師との師弟関係は薄れ、大手馬主の力も強力なものとなってしまい、調教師も積極的に自厩舎の若手騎手に騎乗機会を与えることも少なくなってしまいました。

せっかく競馬学校でエリート教育を受けて、育成された新人騎手達にも騎乗の機会はあまり回ってこないため、そこから大きく成長することは難しく、若手騎手の大成を妨げてしまっている事実があります。

 

 

ですから、今では新人騎手がいきなり年間に30勝、40勝と活躍することは稀になってしまいました。

 

実力主義と言えばそれまでなのですが、成長する機会もまた失われてしまったのです。

 

そんな状況が続いている嫌気が差して藤田伸二騎手は騎手をやめてしまったと言われています。

 

彼は今、札幌市内でバーを経営しておりますが、その店内は競馬ファンが存分に楽しめるように気遣われた空間となっているそうです。

彼は競馬そのものは今でも愛しているのだと思います。

 

ただ、そのアンフェアな実態が変わらないことに嫌気が差したのだろうと勝手に推測しています。

 

 

エージェント制自体は良い部分は間違いなく持っている制度です。

「騎手」という職業をいわば分業制とすることで騎手が純粋に騎乗に集中しやすくなることは彼等の騎乗技術向上にも繋がり得るものです。

ただ、それが過剰になることで前述した若手騎手の成長の芽もまた摘んでしまっています。

 

そのことはJRAも当然わかっているはずです。

 

例えば、今よりもっと自由に地方競馬に騎乗しに行けるようにしたり、若手騎手限定競走を大きく増やしたり、海外への武者修行のサポートを強化するなどして間口を広げたり、など出来ることは色々あるんじゃないかと思います。

このあたりに根本的にメスを入れなくてはこの状況は簡単には変わらないでしょう。

 

本来、プロスポーツ選手でもある騎手はフィジカル的に20~30代がピークであり、成長も著しい時期となるのですが、実際にJRAで活躍しているリーディング上位の騎手は30代後半から40代のベテラン騎手達です。

他国の状況より明らかに高齢化が進んでいます。

これはこうした状況が10年以上続いてしまっていることの証明でもあるように感じます。

 

この度、短期免許で来日したO・マーフィー騎手は若干23歳ですが、イギリスリーディングでは3年連続トップ10に入っており、今年はR・ムーアをも上回る勝利を手にしています。

お馴染みとなったC・デムーロにしても20代前半からフランスで目覚ましい活躍を見せ、毎年来日しています。

 

今の日本のシステムではこうした若き才能が潰れてしまっているからこそ、こうした若いスター騎手が出てこれないんでしょう。

 

かつて武豊という日本競馬史上に残る名騎手が現れたのは、彼の天才的な才能と共に彼には積極的に騎乗馬を与えられる環境があったからこそです。

競馬界を背負うような人材は本人の資質と努力だけでなく、周りの環境からも作り上げられるものである以上、やれることはあると思います。