うまコラ

競馬歴28年の筆者が綴る競馬コラム

ダービーって何だろう

競馬新聞や競馬記事などを見ていると妙にダービーというレースが特別なレースであるように思わせるようなものが多々あります。

実際、生産者や厩舎関係者、騎手などのコメントなどからもダービーというワードが聞かれることが多いと言わざるを得ないでしょう。

 

中央競馬では2歳新馬戦はダービーの翌週から始まるなど日本の競馬界はこの『日本ダービー』というレースを中心に回っていると言って良いかと思います。

 

ただ、世間一般の間隔で言うとダービーよりも有馬記念の方が注目度は高いでしょう。

馬券の売上を見ても2022年はダービーが291億円、有馬記念は521億円となっており、ダービーは有馬記念に遠く及んでいないことが見て取れます。

これは2022年に限ったことではなく何十年も続いている現象であることからも有馬記念の方が大きな注目を集めていることは紛れもない事実です。

 

しかし、競馬界に於いてダービーは憧れであり、最高の栄誉であり続けています。

ダービーの出走、優勝を目指して生産、育成するということは多々あるでしょうが、有馬記念をそうした究極目標とする関係者はそう多くはないでしょう。

 

何故なのか…?

 

筆者はこれまで28年間ファンという視点でこの世界を見続けてきました。

その中で関係者からダービーというレースが如何に尊い存在なのかということを何度となく感じさせられています。

しかしながら、個人的にはダービーというレースはG1レースの1つという思いは少なからず持っています。

そこに何とも言えない違和感を感じながらこのレースを見続けています。

 

では、何故ダービーはそれほどまでに特殊な存在なのか考えてみます。

 

かつて日本の競馬は近代競馬発祥の地と言われるイギリスの競馬を規範として番組が整備されてきた経緯があります。

そのイギリスで最初のダービーが行われたのは今から233年前。日本が江戸時代の事です。

元々は将来の繁殖馬の選定という目的に於いて行われていた側面がありましたが、時代と共にダービー自体が究極の栄誉と変容し、ウィンストン・チャーチルが『ダービー馬のオーナーになることは一国の宰相になるより難しい』と言った、などという言葉まで生まれています(実際には言っていないらしいのですが)。

 

近代競馬の祖でもあるイギリス競馬でそうした価値観が出来上がり、各国の競馬界もそれに倣うかのようにそれぞれの国でダービーを創設、それぞれの国に於いて最高の栄誉こそダービー、という価値観をも受け継いでいったようです。

日本もその例外ではなく、今から90年以上前にダービー(当時の正式名称にダービーの呼称はついていないのですが)が創設されています。

その当時のダービーはその栄誉の高さは賞金額にも十分に反映されており、各国のダービーと同様に日本でも国内最高の優勝賞金、それも次位のレースの4倍以上という破格の高額賞金とされていたそうです。

そのため、ダービーは唯一無二の特別なレースとして競馬界に定着しています。

 

しかし時代は流れ、各国に於いてダービーが最高賞金を誇るレースではなくなります。

 

きっかけはフランスの凱旋門賞ではないかと思います。

ダービーの創設より遥か後の出来事となりますが、1920年に衰退していたフランス競馬の再興を掲げた一大プロジェクトとして最強馬決定戦といて創設された凱旋門賞

第二次世界大戦後に大幅な賞金増額により世界最高賞金レースとなったことなどで成功を収め、世界各国でもそれに倣うように徐々に超高額賞金レースが行われるようになります。

 

日本もその例外ではなく、古馬G1にもダービーと比較しても見劣りしないような高い賞金が掛けられるようになります。

加えてファン投票で出走馬を選定し、年末に行う大一番として有馬記念が定着。

有馬記念はその年のトリを飾る一大イベントとして大成功を収めることになります。

 

結果、今ではダービーの優勝賞金は2億円、ジャパンカップ有馬記念の優勝賞金は5億円と賞金面でも完全に後れを取った形となります。

 

しかし、長年に渡って築かれ続けてきたダービーの威光というものはそう簡単に崩れるものではなく競馬関係者の中に今でも強烈にあり続けているのではないかと思います。

 

しかし、それがファンの立場となった場合、そうした背景というものは感覚として感じにくいものでもあります。

私自身、競馬に触れて間もない頃には『何でダービーだけが特別に扱われているんだろう?他と同じG1でしょう?』との思いがありました。

良く聞くフレーズで『ダービーは生涯1度きりの舞台だから』というのを聞いても、『それって桜花賞皐月賞も同じじゃん、2歳、3歳限定戦は全部生涯1度きりじゃん』と感じるわけです。

これを読んでくださってる方も少なからずこうした思いを感じたことはあるんじゃないかと思います。

 

例えが正しいのかわかりませんが、『甲子園を目指す野球少年』みたいなもんでしょうか。

高校球児にとっては究極の憧れであり続ける甲子園という舞台。

それに対するプロ野球、みたいな。

 

実際、私は高校野球よりレベルの高さが感じられるプロ野球の方が面白いし、魅力を感じます。

しかし、高校球児や元高校球児にそう言うと大概は『そうじゃないんだよ』となるわけです。

 

恐らく、ファンが有馬記念でダービー以上に盛り上がっているのを見て、関係者は『そうじゃないんだよ』となるんでしょうね。

 

 

ぶっちゃけそこに正解なんてないわけです。

1人1人がどんな思いでダービーを見ようが勝手なんですよね。

高校球児が究極の憧れを抱くようにダービーを一際特別なレースであるとの認識を持っていてもいいし、単なるG1の1つとして認識するのもいいわけです。

ただ、個人的な感想としては少なくとも今でも多くの競馬関係者はダービーというレースは最高の憧れを持たせる究極の栄光として存在し続けているのは紛れもない事実で、そこへ向かって生産、育成、調教などを続けてきており、そうした思いの集大成であると理解した上でこのレースを見ると単なるG1として認識するのよりより競馬を楽しめる思いが生まれるんじゃないか、なんて思ってたりします。