うまコラ

競馬歴28年の筆者が綴る競馬コラム

北海道胆振東部地震、札幌での実態

こんにちは、ゆ~じ~です。

 

今回は競馬とは直接関連のない話題です。

 

2018年9月6日、北海道胆振地方を震源とする最大震度7の地震が発生しました。

これにより北海道電力ではかつて例のないブラックアウトが発生。

北海道のほぼ全域が停電するという事態に見舞われました。

 

テレビなどでは震源地付近で起きた惨状などを伝えていましたが、ここでは札幌市内の実際に生活がどうなったのかについて触れてみることにします。

 

9月6日

地震が起こったのは午前3時過ぎ。

妻と共に就寝していましたが、突然枕元に置いていたスマホから緊急地震速報のアラームが。

間髪入れず飛び起き上がった瞬間に傍に寝ていたネコがいち早く地震を察知したらしく寝室から猛ダッシュ。

と、ほぼ同時にこれまで経験したことのない揺れが発生。

札幌は近年あまり大きな地震が起こっていない地域でもあり、私自身も震度4までしか経験はありませんでした。

大きな揺れはそう長く続かず、揺れが落ち着いてきてすぐにリビングのテレビをつけると震度6を記録したかなり大きな地震であったことが報じられていました。

 

揺れは小さくなかったとは思いますが、室内では落ちたりしたものなどはこれといってありませんでした。

 

テレビで地震関連の情報を見ていると3時25分頃、突然停電に。

その時点では「どうせすぐ復帰するだろう」と、会社の携帯で30分ほどテレビ中継を見ていても電気が復旧しなかったため、焦っても仕方ないと開き直って寝ることにしました。

 

余震などもあったため、6時頃に再び起きてみるもいまだに電気は復旧せず、外の道路の信号も消えている状況。

7時頃になってもその様子は変わらないために一旦、車で外の様子を見ることに。

 

信号がついていないため、交差点では慎重に周りの状況を確認しながら通過。

災害時対策と称したガソリンスタンドすら空いておらず、コンビニには既に長蛇の列。

飲食店に一部にも朝食を求める人で列が出来ている状況。

これは焦ってもダメかもと、諦めて帰宅。

 

札幌市内の水道は止まってはいなかったようですが、住んでいるマンションでは水を電気を使って汲み上げるシステムであったため、水も止まってしまいました。

 

そこで困ったのはトイレでした。

 

家にあった水でトイレに使える水は僅か数リットルで、1回すら使えるものではありませんでした。

マンションの管理室では水道が通っていたため、給水が行われていましたがこのマンションの住民は約500人となかなかの人数だったこともあり、その給水にも多くの人が。

 

そこで比較的近くにある会社へと行って水を確保してきました。

たまたま、20リットルくらい入るポリタンクが家にあったのは良かったですね。

 

それでも1回のトイレの使用で半分以上なくなってしまいましたね。

 

会社で水を確保した帰りにコンビニなどに寄ってみるも、閉店していたり、開いていても食料品や飲料水はほぼ枯渇しており、売っていたのはスナック菓子程度。

それでもないよりマシかと買って帰りました。

 

尚、会社からは自宅待機の指示。

そりゃ営業が出来ない以上は仕方ないでしょう。

 

とは言え、家にいてもテレビもつかない、スマホも充電残量を大事にしたいだけに気安く使えない状況で出来ることは何もなし。

 

電池はある程度買い置きがあったのでラジオで情報収集は行っていましたが、一向に電気が復旧しそうな情報もないまま昼に。

その頃にはスマホもネットは繋がらない状況になってしまい辛うじて通話が出来るか否かという状況、情報が得られるのはラジオだけとなっていました。

家にいても出来ることもなく、ただボケっとしていても仕方ないのでとりあえず会社に行って状況確認と電気がなくても出来ることをやろうと思って出社。

 

社内で2時間程作業を進めるも、電気がない中ではそれ以上出来ることもなく、帰宅しようとした午後2時前頃に札幌市東区に住む所長の家に電気が復旧したとのこと。

 

そこで一旦帰宅することに。

 

そろそろ我が家にも電気が戻っているのでは?という期待を持ちながら帰宅してみるも通電していませんでした。

 

夕飯をどうしようかと思っていた夕方、我が家に電気が戻りました。

停電してから13時間後のことでした。

電気が戻ったことで水道も復旧し、ライフラインはひとまず回復しました。

 

9月7日

我が家には電気が戻りましたが、他の社員や営業所はそうではありませんでした。

札幌市内に住むスタッフは9名いたのですが、6日の内に自宅に電気が戻ったのは2名だけでした。

当然、この日も会社は営業することは出来ずに自宅待機指示は継続。

 

6日夕方に自宅付近に電気が通ったことですぐ傍のガソリンスタンドも営業を始めることが予想されていたので、翌朝早くに窓から外を見てみると早くもガソリンを求める車が長蛇の列を作っていました。

前日朝の時点で車のガソリン残量は3割程度しかなく、6日にも使用していたために残りは2割を切っていたこともあり、この車列に加わることに。

 

歩いて10秒の距離のスタンドで給油するために早々と並んだにも関わらず、給油できたのは1時間後のことでした。

それでも満タンに出来たのは後々考えると恵まれていて、他のスタンドではそれ以上待たされた上に20リットルまでという制限が掛けられていたところが多かったようです。

 

帰宅後はただただ普通の生活。

米が炊けるんでとりあえず食べるものはそれほど困りませんでしたし。

 

その一方でこの日も電気が戻らないスタッフも少なくなく、所員の一部はこの日に電気が戻った営業所に泊まり込む状況。

営業所には非常用キットが所員の人数分常備してあったため、それとお酒で一夜を過ごしたそうです。

 

我が家は幸い6日の夜を迎える前に通電しましたが、そうでない人は電気のない夜を過ごすことになりました。

やはり夜に灯りのない生活は厳しいらしく、営業所に行くことになったそうです。

 

尚、この時点でもお店にはすぐ食べられるような食料品はほぼ枯渇していました。

 

9月8日以降

8日からはほぼ全道に電気が復旧したこともあり、営業所の営業を再開。

とは言え、節電が呼びかけられていたこともあり、照明は半分ほど落としての営業。

この日は数人の暇を持て余していた来客はありましたが、電話などはほぼ鳴らない状況。

 

結局、業務がほぼ普段通りになったのは10日頃だったかと思います。

 

また、スーパーやコンビニに十分に食料品が戻るまでには大体1週間程掛かりましたね。

 

札幌市内では震度5弱から6弱程度の揺れがあり、地域によっては報道されていたように液状化が発生して大きなダメージを受けたところもあったのですが、実は札幌市内で揺れや液状化で大きなダメージを受けているところというのはそれほどでもなく、前述しているように我が家では物の落下も殆ど生じませんでした(尚、震度5強だった模様)。

 

それより何より大きかったのは電気です。

電気が通らないことで信号も付かず、物流が途絶えてしまい、ガソリン、食料、飲料水が瞬く間に枯渇しました。

各種交通機関も同様で、通電するまでの2日間は街としての機能は概ねマヒしてしまいましたね。

 

得られた教訓

まず備えていて良かったと痛感したもの。

・ ポリタンク

・ 乾電池

・ モバイルバッテリー

・ ラジオ

・ 自動車

・ 車載携帯充電器

・ カップラーメン

・ 飲料水

・ 米

・ 缶詰

・ ペットのエサ

・ 現金

 

続いて備えておくべきだったと痛感したもの

・ ガソリン

・ カセットコンロ

 

この地震があったのは9月上旬だったため、結果的に困ることはありませんでしたが、仮にこれが冬期間だったとしたらこうはいかなかったことでしょう。

家の中まで氷点下になることも十分に考えられます。

その点で暖を取ることが出来るアイテムも欠かせないかと思います。

 

個人的に6日の電気がない時間帯で最も重宝したのは実は車でした。

移動の手段としてはもちろん、スマホの充電が出来、冷暖房がある環境、加えてラジオも聞けるという意味で何より頼りになったのは車だったんです。

そして、その車を動かすためのガソリン。

それ以前はエンプティランプが点灯するまで給油しないことが多かったのですが、ガソリンは常に余裕を持っておくべきだと痛感しましたね。

 

あとは現金ですね。

キャッシュレス時代になってきている昨今ですが、あの日の札幌では現金以外は何の役にも立ちませんでした。

そりゃそうですよね、クレジットカードすらお店の端末が電気で動いているわけですから使えませんし。

 

また、我が家は夜を迎える前に通電がありましたが、そうでない人からは夜の灯りがないのは困ったという声も聞かれました。

電池などで使えるライトなどがあるといいでしょう。

 

災害はいつやってくるのかわかりません。

月並みですが、準備はしておくに越したことはない。

そう今更ながらに強く感じさせられた数日でした。