サクラローレル逝く
1996年の有馬記念や天皇賞(春)を制したサクラローレルが24日朝、老衰で亡くなったとの報道がなされました。
29歳。
サラブレッドとしてはなかなかの高齢でもあり、大往生と言っても良いのかもしれません。
個人的な話で恐縮ですが、ちょうど競馬にのめり込み始めた時期に活躍していた馬ということもあり、思うところもありました。
1996年春、阪神大賞典でナリタブライアンとマヤノトップガンが壮絶な一騎打ちを演じ、その再戦となった天皇賞(春)。
このレースで豪快な差し脚を見せてこの両馬を並ぶところもなく差し切り、一躍超一流馬として名を挙げることになりました。
そもそも、このレースでは阪神大賞典があまりに強烈なインパクトを与えており、一騎打ちを演じた両馬に過剰なまでの期待が集まったことは否定できないものでしたが、サクラローレルも約1年振りの復帰戦となった中山記念で前年の皐月賞馬ジェニュインを一瞬にして差し切っての完勝劇と非常に強い競馬を見せていました。
近年では休み明けで好走するなんてことは普通のことになってきてはいますが、20年以上前のこの頃は例え一流の能力を持つ馬でも休み明け初戦で能力をしっかり出せることはそう多くはなかった頃のことです。
秋の天皇賞では展開が向かなかったことなどもあり、3着に敗れることになるのですが、ジャパンカップをスキップして挑んだ有馬記念ではマーベラスサンデーらを全く寄せつけずに完勝を収めています。
オーナーの意向もあり、翌1997年には凱旋門賞を目指して渡仏。
前哨戦のフォワ賞で完敗。レース後に屈腱炎が発覚してそのまま引退することになりました。
結果的にG1勝ちは2つでしたが、この時期を代表する実力馬の1頭であったことは間違いないでしょう。
レインボウクエストを父に持ついわゆる持ち込み馬で、クラシックシーズンはその素質に体がついていかなかった部分もあり、大きなレースでの活躍は出来ませんでしたが、晩成血統らしく古馬になって大きく成長を見せた馬でした。
種牡馬としてはそれほど大物は出せないままでしたが、今にして思えばこの時代だからこそ、あれだけの走りを見せられたようにも思えます。
いかにもな欧州血統で瞬発力よりは重厚なパワーとスタミナがこの馬の真骨頂でした。
この馬の1世代後がサンデーサイレンスの初年度産駒であり、この頃からちょうどJRAの芝馬場は明らかにスピード、瞬発力が求められるようになっていきました。
恐らく、近年の馬場に於いてはサクラローレルはG1を勝てなかったのではないかとさえ思われます。
暮れの中山、荒れて時計が掛かる芝馬場。
加えて坂があり、パワーが求められるコースでこそがサクラローレルの適性にマッチしていたのだろうと思われます。
この馬の血が後世に受け継がれていくのはなかなか難しい状況で、僅かに母系を通じてその血が残るだけとなっています。
ただ、1990年代中期を語る上でサクラローレルは欠かせない存在であったのは間違いないでしょう。
今にして思えば、凱旋門賞でもチャンスがあった数少ない名馬の1頭だったんだろうな、とも思いますね。